
2025年5月14日 12:00
VOL41.【スポーツとジェンダー】スポーツを通じてジェンダー課題に向き合う危うさと可能性②:女性アスリートの身体が開く多様な社会
全体公開
はじめに
ジェンダー課題が根強く残るスポーツの空間ですが、スポーツの空間は、女性たちが伝統的な「女性らしさ」から逸脱し、多様な身体が多様なままでいられる空間を作る挑戦が絶えず実践されてきた現場でもあります。本記事では、スポーツを活用したジェンダー課題解決のアプローチを紹介します。
ジェンダー規範を揺るがす空間としてのスポーツ
前回の記事(※前回の記事のリンク挿入)で紹介したように、異性愛男性の視点で発展してきた近代スポーツは男性優位主義、異性愛規範のイデオロギーが内在する空間でもありました。そうしたスポーツ文化によって、女性たちは抑圧を受けてきた一方で、スポーツが既存のジェンダー規範を揺るがす空間としても機能してきたこともまた事実です。
アメリカでは1990年代にポピュラーカルチャーの中で、「Girl Power(ガール・パワー)」という言葉が女性の強さの象徴や女性のエンパワーメントを祝福する意味で使用されるようになりました (Taft, 2004)。1999年のFIFA女子ワールドカップで優勝したアメリカ女子サッカー代表チームの選手たちは「ガール・パワー」のロールモデルとして取り上げられました。これまでフェミニストの中で政治的に語られてきたガール・パワーは、スポーツを介することで、政治的主張と離れた女性の強さの象徴として語られるようになりました。このように、人々が女性の強さの象徴を、女性アスリートや女性スポーツに見出すようになった背景には、前回の記事で示したように、スポーツが男性優位主義、異性愛規範で発展してきたことの影響があります。
また2000年代に入り国際的に性的マイノリティの人々の権利の擁護が活発になる中で、2010年頃から特に女性スポーツの中で同性愛を公表するアスリートが増えてきました。スポーツ現場は女性たちにとって、異性愛規範が強く、同性愛嫌悪との闘いの現場であったものの、伝統的な「女性らしさ」に挑戦し、絶えず「女性らしさの逸脱」が起こる空間でもありました。またその空間は、女性たち自身にとって自身の性自認や性的指向に気づくことができる場所として、アイデンティティの形成にプラスに働いてきたともいわれています。Chan (2003)は、女性にとってスポーツの現場は自由な自己表現が尊重され、性的マイノリティの者同士が社会的につながれる場であると述べています。また、女性にとってスポーツの現場は他の性的マイノリティの人々に出会える場所であり、自身の性自認や性的指向を判断するために安全な場所で、異性愛規範を否定することができる場となっていたとも言われています (Mann & Krane, 2019)。クィアのアイデンティティが可視化され、差別や偏見に基づかない新たな対話が生まれる場所でもありました (Mann & Krane, 2019)。このように、女性スポーツの現場は伝統的な「女性らしさ」を揺るがす場所として存在してきました。
女性アスリートの身体から切り開かれる新たな社会
このようなスポーツの特徴を踏まえ、Hancock (2013)はスポーツを通じたジェンダー課題解決の3つのアプローチを整理しています。1つ目のアプローチは差別是正の観点から、女性や女の子のスポーツへのアクセスを保証するアプローチです。誰もが平等にスポーツにアクセスできることは一人ひとりの権利であることから、その権利を保証することで関連するあらゆるジェンダーの課題に向き合うことができます。例えば女の子が運動プログラムに参加できるようにするために、ジェンダー平等ポリシーを策定したり、女の子のプログラム実施のための予算を配分したりする必要があります。女の子が安全に運動施設まで移動する手段が確保されていない場合、その移動手段を確保することは女の子が地域コミュニティでアクセスできる場所が増やすことにつながります。女の子が安心・安全にプログラムに参加するためにスポーツ現場で子どもの権利や人権を守るセーフガーディングの取り組みを進める必要もあるでしょう。このように女の子がスポーツをする権利を保証するためには、地域コミュニティや社会の中で女の子が直面している様々な課題にも同時に向き合うことが必要です。
2つ目のアプローチは、スポーツに参加する女の子や女性を対象とした教育プログラムを実施することです。運動プログラムで集まった女性や女の子たちに生きる上で必要なライフスキル(リーダーシップ、性と生殖に関する健康と権利、人権や子どもの権利等)を伝達します。社会の多くの場面で機会のアクセスが平等に得られていない女性たちに正しい情報を届け、彼女たちの能力強化をするきっかけづくりにスポーツプログラムを活用します。
3つ目のアプローチは、女性や女の子がスポーツを通じて地域コミュニティや社会のジェンダー規範の変革を試みるアプローチです。上述したようにスポーツは男性優位主義、異性愛規範が強化される現場であり、それに伴い女性も抑圧されてきましたが、多様な女性像が表現される空間でもありました。スポーツをする女性の姿や指導者としてリーダーシップを発揮する女性たちの姿は伝統的なジェンダー規範に収まらない女性の能力を表現することができます。また、女性アスリートのアクティビズムについて昨今注目がされていますが、アメリカ女子サッカー代表チームのキャプテンも務めたミーガン・ラピノー選手は、2019年のフランス女子ワールドカップで選手の性別による賃金格差の解消と、性的少数者の人権を訴えました。2021年に開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会では、体操女子ドイツ代表の選手たちが、足の付け根まで肌が隠れるユニタードを着用し、周囲の性的な視線から自分たちの身を守るアクションをしています。性別や性的指向、人種の違いによって社会から抑圧を受けている当事者としてのアスリートが、SNSなどのメディアを通じて同じ境遇にいる当事者に連帯を示すアクションが見られるようになりました。こういったアスリートたちは多様な身体が多様なままでいられるように社会を編みなおす「エージェンシー」として存在しています(山本, 2020)
前回の記事も含めて、スポーツには男性優位主義、異性愛規範のイデオロギーが内在し、それによってジェンダー課題が多く表出されるのがスポーツの空間です。しかしながらその空間の中で女性アスリートを始めとするスポーツに関わる女性たちがその不平等に挑戦し、既存のジェンダー規範を壊してきた空間でもあります。スポーツに内在する構造的な不平等を認識しその課題にアプローチしながらも、多様性が包摂される社会の創造に向けたスポーツの可能性が注目されています。
参考文献
Chan, S. K.:Coming on Strong: Gender and Sexuality in Twentieth-Century Women's Sport. Massachusetts.Harvard Univerrsity Press.2003.
Hancock, M., Lyras, A., & Ha, J.-P.:Sport for Development Programmes for Girls and Women. A Global Assessment. Journal of Sport for Development, 1(1), 1-9.2013.
Mann, M., & Krane, V.: Inclusion or Illusion? Lesbians' experiences in sport. In V. Krane, Sex, Gender, and Sexuality in Sport: Queer Inquiries.pp.69-86.Routlede.2019.
Taft, J. K.: Girl Power Politics: Pop-Culture Barriers and Organizational Resistance. In A. Harris, All About the Girl Culture, Power, and Identity. pp.69-78. Routledge.2004.
山本敦久:ポスト・スポーツの時代.岩波書店.2020.
執筆者
野口 亜弥(のぐち あや)成城大学スポーツとジェンダー平等国際研究センター 副センター長
専門は「スポーツと開発」と「スポーツとジェンダー・セクシュアリティ」。米国の大学院にてMBAを取得。
スウェーデンでのプロ女子サッカー選手の経験を経て現役を引退。その後、ザンビアのNGOにて半年間、スポーツを通じたジェンダー平等を現場で実践。
帰国後、スポーツ庁国際課に勤務し、国際協力及び女性スポーツを担当。現在は成城大学文芸学部専任講師。
各種講演やNGOや行政のプロジェクトにも専門家として参画。博士課程在籍。プライドハウス東京アスリート発信チーム。株式会社Azitama代表。
過去の記事
VOL2.【スポーツとジェンダー】UN Women『平等を目指すすべての世代のためのスポーツ枠組み(Sport for Generation Equality Framework)』
VOL14.【スポーツとジェンダー】スポーツを通じてフェミニズム運動を推進するドイツのディスカバーフットボールフェスティバルとは?
VOL22.【スポーツとジェンダー】UNESCOの"Sport and Gender Equality Game Plan" ー 政策と実践をジェンダー平等にするためのツールキット ー
VOL36.【スポーツとジェンダー】スポーツを通じてジェンダー課題に向き合う危うさと可能性①:近代スポーツの発祥から振り返るジェンダー課題
独立行政法人 日本スポーツ振興センター
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